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特撮とアニメの新時代を切り開いた作品たち

2016.09.23 Fri

 行ってまいりました。

 新海誠監督最新作『君の名は。』

 衝撃の、一言です。

 「ありそう」なCMとは裏腹に、本編はすばらしいものでした。自分は仕事上作品の構築や演出に携わることが多いのですが、このように「技法」は「技法」で、それでは説明できない「感性」というものを目の当たりにすると、まったくの衝撃としか言いようがありません。(監督ご本人のとっては、「感性」云々というものではないかもしれません、私の思い込みです)

 『シン・ゴジラ』は特撮の新時代を切り開いた作品だと思っていますが、それまでの作品が過去のゴジラ像から脱却できる可能性があった(過去のゴジラシリーズで金子修介監督では脚本、その後怪獣のキャストが変えられ、北村龍平監督の場合は脚本を却下された)ことから、10年遅かった傑作だと考えています、が、しかし、時代を変える待ちに待った一作に間違いはありません。

 ところで、私の中では『君の名は。』は同じくアニメの新時代を切り開いたと位置するアニメ映画作品として、最良のタイミングで適正評価を受けている一作です。

 そう、この作品が今、大ヒットしていることが、なによりも嬉しいことであります。

 『君の名は。』は、すごかったです。

 良い時代に、生まれて嬉しく思ってしまうくらい、素晴らしい作品でした。

 劇場に行けないあの人に、是非みてほしいのですが…何が手がないのだろうか…

『シン・ゴジラ』公式サイト

『君の名は。』公式サイト

 総合マンガ誌キッチュ責任編集 呉


総合マンガ誌「キッチュ」

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『セデック・バレ』「太陽と虹の橋」

2011.09.28 Wed
「――我々の魂が行く先に虹の橋がある、その入り口には先祖様の霊が待っている。男はより多くの敵を殺めその首を狩り、両手は血まみれで顔には勇士の印が刻まれる。そうすれば先祖様は「セデックバレ」(栄光ある戦士)として認めてくださり、橋を渡ることをお許しになるのだよ。」


 彼らは、其々の猟り場(縄張り)を守るべく、族と族の間はしばしば衝突が起き、殺し合う。より多くの敵のを殺め、より多くの首を狩ることが勇者の印とされる。そして彼らは漢民族よりはるか昔、台湾と呼ばれる島の山で暮らしてきた先住民、台湾では原住民と呼ばれる人たちである…


 『海角七號』を制作した魏徳聖監督の2011年最新作『セデック・バレ』は、そんな彼ら、そして多くの人々が命を落とした「霧社事件」を描いた映画作品です。

 歴史的惨劇とも言えるこの事件を映画化するだけに、この作品は制作される時点から様々な波紋をよんでいます。 魏徳聖監督は12年前からこの作品の草案を立てたと言われ、2003年に彼が制作費用を集めるために自腹で長さ5分のパイロット映像まで作った。それでも結局集金に失敗し、制作に踏み出せませんでした。しかしのち『海角七號』の大ヒットが『セデック・バレ』の資金集めに繋がって、いよいよ同作の制作が始まります。しかしながら、膨大な資金を集めるにはそう簡単なことではありませんでした。制作の途中でも監督はしばしば資金に苦心し、映画の制作過程中資金難は常にあったという。

 作品の規模と言えば、台湾のウィキペディアによると制作には日本と韓国のスタッフ合わせておよそ400人が参加し、また全体の制作スタッフとエキストラを合わせて約1万人も超え、制作費7億台湾ドル(約21億円)もかかった、台湾映画史上これまでにない大作になったわけです。

 さて、本編を見るまでには、やはり気持ちは複雑なものでした。前述のように、「霧社事件」は悲惨な歴史事件だけあって、それをモチーフにすることに大変勇気のあることだと思うが、一観客としても単一の視点でこの事件を解釈してほしくはありません。しかし映画を観た瞬間、(少なくとも私の中では)その不安が消えうせたのであります。

 自分がこの作品で見たものはまず気高く生きる原住民達、彼ら族と族の間数世代渡る猟場の争い、または先祖の誇りをかけた戦いと殺し合い、やって来る日本人達そして文明と出会い、そこから彼らが「セデック」は「セデック」ではなくなっていく悲しみを生み出す…さては彼らは一族の生き残りを選ぶか、先祖が教えた誇りを選ぶか…さらに登場する日本人のなかには霧社で十数年暮らしセデックを娶った霧社警察主任佐塚愛佑(キム兄こと木村佑一)、セデック族の良き理解者の巡査小島源治(安藤政信)、セデック討伐を担当する将軍鎌田彌彥(河原さぶ)など、抗日あるいは反日のメッセージをこめた映画というより、私には文化と文化の衝突を描いた作品に見えました。

 族長が日本巡査になった族人に「お前が死んだら虹の橋に行くのか、それとも日本の神社に行くのか」と問いかけた。霧社の日本人がひとりひとり殺されてゆくなか、日本人女性が一緒に避難するセデック族の女性に「あんた蕃人でしょう?なんてあたしたちと一緒にいるの?」と言い、最後にセデック族の女性が自分の父親に「なんでこんなことするの!」と叫んだ。またセデック族の子供たちが自分の日本人のクラスメイトに「永遠の友たちになろう」を言って、殺してしまう…

 漢民族から生まれ、のち日本で12年間暮らした私が、『セデック・バレ』の上映が終わるまでずっと涙を堪えていた。

 台湾と日本の関係は「親日」あるいは「反日」の一言では語りきれない複雑なものであり、原住民は台湾の一部であり、彼らのアイデンティティーもまた台湾の複雑な政治関係と国際地位と深く関わっています。魏徳聖監督はそれをよく理解し、この作品をライフウォークとして12年前制作を決意したに違いない。

 映画館で配布される無料パンフレットの『セデック・バレ』の映画紹介冒頭はこう書かれている…

「虹の橋の一族の地に、太陽の一族がやって来た。彼らは虹と太陽は一つの空にあることを忘れていた…」

 日本のメディアが『セデックバレ』を「抗日映画」あるいは「反日映画」として紹介し、「海外では残酷シーンが多すぎで民族主義の過剰などで酷評されている」と大いに語っているようですが、台湾と深く関わっている日本の人々には是非とも見てほしい作品だと考えます。日本で無事公開されることを望みたいと思います。しかしながら『セデックバレ』という作品を主観的でない読み取り方ができる観客は、日本人のみならず、世界中は果たしてどのくらいいるのだろうか。


『セデック・バレ』日本公式サイト

『セデック・バレ』メイキング映像(映画美術監督担当種田陽平氏らが語る)

【ニュースの読み方】台湾映画「セデック・バレ」とは何か(ユーチューブ)



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いつから相棒?アンギラス(下)

2010.11.19 Fri
 船の上でギターを弾きながら歌う青年。次の瞬間に光る海面に、船難――54年に公開された『ゴジラ』の冒頭、衝撃なシーンでした。

 ウィキペディアによれば、同作品は961万人の動員人数という大ヒットを記録し、直ちに続編の制作が決められました。それが暴龍アンギラスが初登場を飾った『ゴジラの逆襲』でした。

 余談ですが、この『ゴジラの逆襲』を見たのは、今回が初めてです。幼い頃ゴジラの映画作品が大好きで、1999年来日してからも、毎回の正月にゴジラを見るために映画館を訪れた私が、2010年現在に存在するゴジラシリーズ全28作品のなかで見ていないのは、『キングコング対ゴジラ』だけになりました。


 いざ『ゴジラの逆襲』を鑑賞する私ですが、少しは予想したものの、作品のリアリズム(語弊かもしれませんが)に対してのコダワリには驚きました。多くの場合、作品に説得力を持たせるようと、パニック映画ではのち発生する「異常」を語るために、「日常」の描写は欠かせません。この作品は、さらに不安が満ちた「日常」が物語の幕をあげる。


 この『ゴジラの逆襲』では、主人公の海洋漁業専属の飛行機パイロット。しかし同じパイロットの同僚の機体が故障してしまい、彼がさっそくその救出に向かうところから物語が始まります。

 ここの特筆しべきなのは、主人公が上空から同僚を発見したら、次のシーンではいきなりもう島で二人が再会しているなど、着陸(水?)までの演出は省かれてもおかしくはありませんでした。しかし本作では、島に漂着した同僚を発見した後、主人公は島を一回転してから飛行機を着陸(水?)したのであります。映画における現実では救出までのプロセスを再現することは難しく、それを再現することが目的でもありません。しかしできるだけ現実に近づけることで、作品に説得力持たせることが出来ます。このような工夫は、この作品の随所で確認できます。

 特に悪い意味はありませんが、『ゴジラ対ガイガン』を見た直後なので、私はこのリアリティを溢れる演出の数々に大いに感動いたしました。


 さて、特撮ファンの間では有名な話のようですが、この作品の怪獣の動きは極めて「軽快」である言われています。それを知りながらも、アンギラスとゴジラの登場シーンを初めて目にした時はビックリ仰天!早送りしてるかのように、とにかく素早い2匹です。そしてゴジラシリーズで初登場したアンギラスの姿には、私にはワンちゃんに見えて仕方ありません。決して悪く言っているのではなく、生き物に見えるという意味なのです。

 思えば55年に公開された『ゴジラの逆襲』はゴジラシリーズの第二作目であり、その11年後にようやくあの歴史に残る怪獣ものの作品『ウルトラQ』のテレビ放送が開始されたことを考えても、特撮における怪獣の表現の最初期の作品と見ていいでしょう。

 最初期だからこそ、撮影における「どうすれば怪獣を怪獣らしく表現できるだろう」という手探りの部分は極めて濃厚だったと推測します。この素早い動きもその一環だったでしょう。

 動き回るゴジラとアンギラスだが、アンギラスのあたまのアップが非常に印象的でした。「暴龍」と言うのだが、ゴジラを睨みつける目と、くしゃみのような仕草は、たいへん可愛らしく見えてしまったのであります。その愛嬌あふれる姿は、もしかしたら、のちゴジラの相棒役として活躍させられることに繋がったのかもしれません。

 とは言え、劇中の人間たちにとって、回避するほか対策がなかった怪獣という名の恐ろしい「天災」は可愛くもなんともありません。大阪に上陸した両怪獣が深夜の暗闇の中での決戦は、人々が築いた財産を一夜で無にしてしまったのはもちろんのこと、「軽快」に蠢く二つの異形なかたまりはまさに恐怖の象徴そのものだったのであります…!そしてこの第一の戦場で、アンギラスは退場するのであった…


 ゴジラに噛みつかれたノドから鮮血を滝のように流しながら、窒息死したのかついに動きが止まり、トトメには熱線でこんがり焼かれて、合掌。


 背中の針から、台湾のゴジラファンの間で豪猪怪獣という愛称のアンギラス。名前が一度も映画のタイトルになったことのなかったアンギラス。愛嬌たっぶりのアンギラス。

 初めてゴジラの仲間として共に闘ったのは、1968年に公開された『怪獣総進撃』だったそうである(完)


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いつから相棒?アンギラス(上)

いつから相棒?アンギラス(中)


ゴジラの逆襲『ゴジラの逆襲』(Amazonページ)



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いつから相棒?アンギラス(中)

2010.11.09 Tue
…アンギラス、永遠の脇役であり、数多くあるゴジラシリーズの映画作品で姿を見せるが、その名前が一度もタイトルになっていない。

 彼(?)は『ゴジラの逆襲』でゴジラの初めての敵対怪獣として初登場を果たしたものの、いつの間にゴジラの相棒(というより子分)になっていました。

 記事の中盤になってようやく宣言しますが、タイトルの「いつから相棒?」を知るには、極めて簡単なことです。歴代ゴジラ映画のデータを調べ、アンギラスがゴジラの仲間として登場した最初の作品を見つかればよいのです。しかし問いのようなタイトルを持って、あくまでもアンギラスの二つの顔に注目したい。それがゴジラそのもののいくつ異なる顔を知ることに繋がるのではないかと思案したからです。

 そして今回『ゴジラ対ガイガン』と『ゴジラの逆襲』を同時にビデオで見なおそうとしたのは、まさしくそれぞれに登場しているアンギラスの両極的な顔を見るためでした。


 そこで先に視聴したのはこの『ゴジラ対ガイガン』でした。


 この作品に登場するアンギラスは、怪獣島に棲む一匹の怪獣、ゴジラの偵察命令で日本に向かうなど、完全に仲間(子分)として活躍していたのであります。

 実は幼い頃の記憶では、もう既にその主従関係が頭の中で定着していました。

 ただ一つ、記憶になかったのは、ゴジラとアンギラスは、なんと喋っているのであります…!

 吹き出しという表現で、喋っているので、あります!!


ゴジラ「いそけ!いそけ!」

アンギラス「OK」



 これはたまげた。


 それまでは「いつからアンギラスがゴジラの相棒になっていたのか」を気にしつつ見ていたものの、その展開が目に入った瞬間それがどうでもよくなっていたのであります。

 でもなぜこのシーンが記憶にないのだろうか。

 驚いて見せながらも白状しますが『三大怪獣 地球最大な決戦』で「ゴジラが喋ったのでは?」とうろ覚えしていたものの、そのビデオを去年見なおした時にそういったシーンを発見できなかったので、記憶間違いだと考えておりました。

 でも今回の『ゴジラ対ガイガン』を見た時、冗談の意味で、間違いであってほしかった(笑)


 それにしても、さすが東宝というべきでしょうか、オープニングのタイトルの後に始まるスタッフロールのデザインは大変シャープな雰囲気を持たせており、(子供だった頃は気にも留めなかったが)大人になった私が思わぬそのセンスの良さに「おお」と声をあげてしまった。

 その次に目に入ったのは意外にも劇画風タチのマンガシーンでした。

 主人公が自分の作品をマンガ編集部に売り込むところから物語が始まります―


 私の個人的な偏見ですが、現実では漫画家(絵描き)は恐ろしい生業であり、己の命を削ってまで作品を創り出すという、ロマンがあって実体のないお勧めしない生き方です。

 しかし(劇画)漫画家という職業についてどうとらえるのはともかく、70年代ゴジラ主な観客である子供たちにとって大サービスだったのではないでしょうか。

 それは(劇画)漫画家は子供にとってあこがれの職業の一つであることは、あの頃も今も変わらないもののように思えるからです。


 さて本編に戻るが、物語は劇画家の主人公と仲間たちが、世界子供ランドの建設にめぐって調査を行うが、その建設メンバーはなんと地球侵略を目論む宇宙人であったという、至ってシンプル(と思う)なものです。


 ここで私は「小規模な探偵劇」という表現を用います。


 しかし思えば、ゴジラという物語における強力なキャラクターを主幹に、「味方」と「敵」、また頑張る「人間」という法則を守ることで作品として成り立つのであります。

 とか言って『ゴジラ対ガイガン』は総して水準の低い作品であることを主張しているのではない。物語を作る経験がある人なら分かると思うが、「ベタ」ほど難しいものがないのであります。

 その「ベタ」はこの作品の持ち味の一つでもあるのだと考えます。


 特撮ファンとしての趣味の部分で、まだまだ語りたいことは山ほどあるが、もっとも重要(と思う)なのは、この作品で流血をしてまでゴジラと共闘した良き相棒アンギラスがゴジラの敵、そして人間の脅威として登場した『ゴジラの逆襲』で見るその姿のギャップなのであります(つづく)


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ゴジラ対ガイガン『ゴジラ対ガイガン』(Amazonページ)



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いつから相棒?アンギラス(上)

2010.10.31 Sun
 ビデオデーブの出現によって、映画の形態が大きく変わったとの指摘があります。

 それはそうと、私が幼い頃では、もう既にビデオレンタル店が街の一部となっており、生活の一部にまでの存在感を獲得していました。(いまやデービィデーか主流だが)


 そして日本では54年の第一作から、台湾で私がカギ大将をやっていた80年代のあいだ、30年ほどの歴史があって、平成になって復活を果たしたものの、古典、あるいは花形として日本特撮映画史に名を残した大きな存在
―――ゴジラのお話であります。

 台湾出身、台湾育ちの私ですが、ゴジラシリーズにはただならぬ影響をうけていました。

 歴史的に見ても、戦前天皇家が本島以外に、唯一参拝した神社が建てられたこの島には、日本から文化を含めてあらゆる面において、影響がないはずがないのでありましょう。

 歴史の是非を問うつもりはありませんが、形式構わず、深く関わることで、必ずなんらかの形で影響を残すものだと私は思うのであります。


 さて、ビデオ店の子供コーナーに並んだゴジラシリーズビデオだが、公開順にお構いなく我々はそれを漁っていました。また大人たちにとって、子供たちが大人しくビデオをみておれば騒ぐこともなく、好都合だったことでしょう。


 よって私のような「劇場」のリアルタイムではないけれど、「ホーム劇場」のリアルタイムの「台湾ゴジラ世代」が生まれたわけであります。


 ニーズがあれば、映画館も黙っていられまい。


 私の記憶が間違っていなければ、84年の『ゴジラ』から95年の『ゴジラVSデストロイア』の間『ゴジラVSスペースゴジラ』を除いて、一作残らず台湾で劇場公開されていました。(真実は定めてはありませんが、『ゴジラVSスペースゴジラ』の台湾未公開について、一説によれば、日本公開の翌年に起きた阪神・淡路大震災が原因とされています)

 よって「台湾ゴジラマニア」の間では、ビデオが並ばれるまでに『ゴジラVSスペースゴジラ』は幻の作品でした。


――繰り返すが、以上はあくまでも一台湾マニアとしての私のあやふやな記憶です。

 しかし、このような信憑性に欠ける豆知識を披露し合うゴジラマニアが、台湾の私の世代で大勢にいることだけは伝わればと思います。


 ともあれ、幼い頃の私が年代関係なく多くのゴジラ映画から、『ゴジラ』で人間を無残なまで踏みつぶすゴジラと、『怪獣大戦争』で宇宙で「シェ~」をやったりするゴジラの姿を見て、当然の如く素朴な疑問があたまに浮かびあがっていました。


 ゴジラっていいやつ?悪いやつ?


 思えば50年代、日本に被爆の恐怖がまだ生々しく残っていたあの頃、ゴジラはまさにそれを具体化したような存在だったでしょう。

 しかし怪獣ブームと共に、「東宝チャンピョンまつり」ではゴジラは次々と登場する新怪獣と戦って、劇中の大人からして天災のような存在であるものの、子供にとっては正義の味方へと変貌していきました。


 子供だった私に、それを知る由もなかったのであります。


 来日して十数年、幼い頃の時になかった知識を持って、ゴジラのビデオデーブを見なおすのが、一つの楽しみになっていました。


 多くの怪獣の中、特に地味な存在(と思う)アンギラスの初登場『ゴジラの逆襲』そしてゴジラの相棒として活躍する『ゴジラ対ガイガン』をビデオで見直すことにしました。


 過去の思い出を反雛しながら…(つづく)


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