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「キッチュ」第三号掲載作品紹介:いちばんぼし、暫しのお別れ!!

2011.06.28 Tue
『いちばんぼし』より


 そして多くの作家と執筆者のおかげ様で、2011年4月初版の総合マンガ誌「キッチュ」第三号を発刊することができました。

 キッチュで初登場のわんわんさんの1ページマンガ『いちばんぼし』、一見唐突のような、しかし強いインパクトと共に記憶に残る1ページです。思えば出来る限りの作品発表の場の実現、その最初は必ずしも唐突なものでした。

 思えば総合マンガ誌「キッチュ」第一号の初版刊行は2009年の11月でした。同号の後書きに書いたように、日本マンガ評論の草分け的存在、故・石子順造氏の著作から、「キッチュ」という言葉に感銘を受け、僭越ながら私主観的な再解釈をした上、本誌と題名として付けさせてもらいました。


『グーチーパー』の三人(匹)


 第三号が発刊したのは、ちょうど東北地方太平洋沖大地震の一カ月あとでした。地震の直後、第三号装丁と仕上げ作業をしながら、頭の中に様々な思いが飛びまわり、まさに万感交到るそのものでした。

 のち同号が中野のタコシェさんの店内で販売させて頂いた時に、私はもう日本にいませんでした。

 来日して12年間、後延ばししていた兵役を果たす時がやってきて、「やっと…」という気持ちと共に、感情を整理すること間もなく、台湾に帰国することになったのであります。

 一年間の兵役は、恐れながら総合マンガ誌「キッチュ」一年間の休刊を意味することになってしまいますが、偶然と言えば偶然で、第三号の巻末を括った、ムライさんの4ページ短編作品『グーチーパー』には、固い友情を背景にした再会と離別を描いた作品でした。

伝いたいことが

 ――「第三号まで出せるとは思わなかった」など、毛頭もありません。出来る限りの条件で本誌を発行し続け、より多彩な作品で、よりボリュームな総合マンガ誌「キッチュ」をお届けしたいと思っています。

 一年間、暫しのお別れです…!!(呉)

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「キッチュ」第三号掲載作品紹介:過去と現在と

2011.06.26 Sun
光

 宇宙の始まりについては、各文化によって異なる解釈がなされていますが、もっとも知られる記述は『創世記』第一章―天地創造なのではないでしょうか。

 キッチュ第二号の『創世記第38章』に続いて、キッチュ第三号に掲載する『ガロ』作家のひさうちみちお先生の書き下ろし作品『創世記第一章』(全8ページ)を紹介いたします――

大地

 「昼」と名付けられる光と「夜」と名付けられる闇、大空に日と月。大地と海そして季節…初めは天と地のみが、次々と新たな創造物が加えられ、さらに仕分けがなされて行く…ついにあらゆる生き物と人(ひと)を含めた万物が創造され、神は六日目で全てを良しとしたのである。

神 

 「私はどこから来たのか」というのは「私は(将来、或いは死後)どうなるんだろう」を考える時に遭遇する確率の高い「連帯質問」で、どうしても知りたくなります。そこでその時代の人々の答えを見ることで、彼らの人生観を伺えることができると考えています。

 原典『創世記』で述べられる天地創造という壮大な工程を、独特な耽美的、神話的な描写のよって忠実に描いたひさうち作品『創世記第一章』を見ることで、概念的な面において、感性の面において、さらに物質の面においても、自分自身の過去と現在から、自分自身の未来を改めて考えることに繋がるのではないかと思う。(呉)

ひと

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「キッチュ」第三号掲載作品紹介:リズムの海

2011.06.25 Sat
 博士課程に入ったころ、指導教授から一冊の本を渡された。アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールの著作『文化としての時間』でした。この意義深遠な一冊を一通り読んだ後に、しかし手元に置いておきたい…そこはもう一冊を手に入れてから、お返ししようと決めた。

 しかし購入先との不愉快な記憶のせいで、手元に届いた二冊目の『文化としての時間』を開封しないまま持っていた。そして今年に博士進学に決まった友人に、「これはぼくちゅんが博士に入った時、指導教授からもらった本…オモシロイからぜひ読んでみてください」と伝え、あの未開封の一冊を手渡した。

 この時、指導教授から本を借りたのは約五年前だったことを思い出します…

 ともあれ、本の内容は、この五年もかかったエピソードより遥かに深みのあるものを保証したい。タイトルから想像できるように、文化によって時間への概念と感覚の違いを膨大な知識と様々な視点を持って分析して見せてくれます。しかしながら難解な文面ではなく、尚且つ読者に思考空間を持たせてくれる一冊でもあります…時々読み返すと、その中身はこうして、作品解説の引き出しになってくれます―――――

 キッチュ第三号で初登場HIRONARI SAGAWAさんの作品、全15ページの短編『RED・UT』。

ナル!

 成喜はサッカー少年として明るい一面を持ちながら、悪質な苛めに遭い、異質な「変化」遂げるを描いたこの作品が、『文化としての時間』で言及された「リズム」を思い出させてくれます。

サッカー少年

 団体単位の中に個人同士が自覚することなく、団体から一つのリズムを成形することを認めると言った内容でしたが、作品ごとに、もちろんリズムが存在すると考えています。登場人物のほか、作品の内容そして展開の流れ全てがリズムを成形する要素になることが、人間の団体のそれに似ています。そしてこの作品のリズムは、大変独特なものだと感じています。

悪夢

 時に少年少女とかに分類されるマンガですが、作品ごとにはさまざまなリズムがあると感じています。また時にパターン化される作品群を発見しますが、時に見慣れないものと出会うことがあります。この短編では、とにかく一度読むと、脳内を刻まれるほど強烈なものが残ります。独特という一言で形容するが、それは難解と意味不明に当てはまらない、ただ「独特なリズム」であることを、言いたい。

 慾は災いの元というべきか、このリズムを、一つ強力な「トーン(tone)」を加えることで、作品がより堅牢な自己主張を得るのではないかと考え始め、ついに作者に「見開きを加えてみませんか?」と口説いてしまうのであります。

 彼は快く引き受けてくださった。そして意外にも、それは作品の最後の2ページになりました。

 …この世に一つしかない、独特な作品に対して、私のこのような理不尽な要求の是非をどう判断するのか…それが分かるのにかかる時間は、五年ところではなさそうだ。(呉)

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「キッチュ」第三号掲載作品紹介:幻想と本能

2011.06.16 Thu
 海辺、晴天、そしてタコ…
タコ!


 道端、親切なおじいさん、そして記憶…  
思い出


 キッチュ第三号で掲載させていただきました、もぷ子さんの作品――『海辺の昼下り』と『工事のおじいちゃんの話』、それぞれ5ページの短編です。どちらも少女が常日頃に遭遇したささいな出会いと別れの記憶を描く作品で、何処かで不思議な香りがする…


 少女が海辺で「知り合った」釣りのおじさんと、約一時間ほど(らしい)の会話、それはいつもとちょっとだけ違う昼下り…


海辺での出会い


 『工事のおじいちゃんの話』では、少女が放校後の帰り道に、見知らぬ工事のおじいちゃんに声掛けられたお話。相手は面識のない所謂「知らない」大人、少女は、ついついおじいちゃんを怖がってしまっていた…


帰り道で…


 一見平常(日常)の出来事を語るだけの内容のように見えるかもしれないが、この二つの独特な短編を単なる日記(記録)マンガと定義するわけにはいけない。

 記録と表現を内包した、あるいは表現そのものが記録の手段…などヤヤコシイ言い回しに発展してしまいそうが、要するに作者にとって、マンガは表現の手段であって、作者の記憶は作品の元になっていると言えば分かりやすい。さらに作者はテクニックを駆使して作品を制作すると同時に、もちろんその元は自身のあらゆる経験と感性であって、そういう意味では彼らが作品を制作する行為自体が、自己分解と言えましょう。

 しかし自分自身の人格、経験(記憶)、感性を持っても、それらをこのように第三者に公開する前提の作品を完成させない限り、当然表現者ではあり得ない。

 「予定される表現」はあくまでも「幻想」であって、逆に「実現された表現」は表現者の「本能」そのものと言えよう。

あなたがええ子だからあげるんよ


 思えば消費者(読者)が作品を、例えば人物がカッコいい、内容が面白い、もしくは詩歌を吟じてその趣を味わうのように、あるいは文学的な鑑賞の仕方をする場合もあるかもしれません。それは言わば読者だけの特権であろう。しかし、もしも読者が、作品を吟味することによって、作者そのものに近づけると言うのでしたら、それこそほぼ「幻想」だと断言していいのではないかと、考えています。

 と言っても、作品は表現者と消費者を区別するための存在ではなく、作者と読者の間――それは作者の作品が、読者の感性によって再構築されることによって――で不思議な関係を作り上げるという結果をもたらす存在なのだ。

ほな…

 遠さかって行くおじいちゃんの後ろ姿は、少女の目に、そして読者の目に、どういうふうに映るのだろうか…(呉)

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「キッチュ」第三号掲載作品紹介:「赤ずきん」

2011.05.13 Fri
 多くの人々が幼い頃に聞かされる童謡に童話、あるいは昔話…命を落とす登場人物(あるいは動物)とそれを造成した悲しい偶然がしばしばこれらの物語で見ることができる。しかし語り部の温和な話術、あるいは絵本でコミカルにデフォルメされたビジュアルによって包装され、伝わってきたと考えます。

 IKKI作家ムライさんの短編作品『リトルレッドのフカフカベッド』です。

リトルレッド

 お母さんの使いで、おばあちゃんに美味しいパン届ける赤ずきん。森の奥で蠢くオオカミの影とすれ違って、おばあちゃんの家にたどり着くが…

ムカツクガキだ

 赤ずきんはおばあちゃんの家を出ると、再びオオカミとすれ違った。

 そして夜、暗闇の中、おばあちゃんの家で、赤ずきん、そしてオオカミ――もはや我々がよく知る『赤ずきん』ではないが『赤ずきん』である。


瞳

 物語は作者が生きた時代の世相を語り、童話とて例外ではない。時代は残酷であり、童話も時々そうである。それは単に子供たちに「わるい行いをせぬように」と諌めるだけのものでは、決してないはず。

 時代に生きた人々が、童話を通じて大人予備軍に伝えたかったのは、死と偶然、つまり人生そのものの一端なのではないだろうか。(呉)

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