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種を播くこと

2012.08.11 Sat
 思えばマンガの驚異的な売り部数に至るまでの過程は多く著作と研究で分析されてきた…

 戦前マンガそして戦後の赤本に貸し本、劇画の誕生&少年マンガ誌へのに導入、初めてマンガ雑誌百万部売上などなど…自分が博士課程にいた頃勉強しているうちに「ほむ~なるほどこれはすごい!」と思う半分で(あの時はちょうどマンガの売り上げが全盛期より大幅に落ち込んでしまっていると言われる頃のせいもあったのか)なにかしら言葉では表せにゃい違和感を感じた。


 「うむむなんだろねぃ~」


 高い頻度で映画化やドラマされていくマンガ、そして携帯で読めるようになったマンガ、〇〇社に新しいマンガ雑誌ができた、〇〇雑誌がつぶれた、〇〇を漫画化してみた、あるいは〇〇名作小説の表紙をマンガで描いてみた…

 なるほど簡略化し、誇張化される表現とゆう狭意な定義だったマンガは、北沢楽天の超豪華版マンガ誌の創刊そして、岡本一平が制作した初めての長いストーリーマンガと言われる作品が世に出てからは数十年、二回大戦と戦後激動な政治環境や反政府デモそして高度経済成長などの時代も経て……いかにもドラマチック、いかにも絵画に劣らないキレイさ、「バカラバカラ…」と馬が走る臨場感をマンガの音喩も発明され、漫画家はまさしく映画監督のようにあらゆる表現が紙の上で、すべてにおいて「マンガ」は凄いことになっているらしいのではないか?


 これはどうゆうことなのか?


 「今からマンガのことを喋るぞ」とゆうだけで、「凄い話が始まるぞ」と思えてしまうくらい、マンガは凄いらしいけど、なんだがその凄さ以上の凄さを感じないのだ。

 読者…いや観客とゆうべきか、彼らの目の前に現れる形を変えたマンガの数々は、要するにマンガである、どんなことをやっても、どんな変化をつけても、あのマンガなのである

 要するに、ここ数年間現れるこれら形の変わったマンガは、これまで成長し、ピークを極めたマンガにかかわる全てのものを「消費」しているのであります。

 要するに要するに、マンガの先達が血と汗を流して「マンガの種」を播きました、それが成長し、たいへん豊作だったが、その後新たに種が播かれずに、出版社と描き手そして研究者の多く、さらに政府までもが「マンガ」そのものをひたすら収穫(消費)しているだけのように思えます。



 石子順造氏の『戦後マンガ史ノート』のなかではこのような話がありました…草にひたすら火をつけると燃えるが、本当は水も欲しかったとのことが…自分が思うには、ひたすら「収穫」するのではなく、数十年後の豊作のため、「種を播く」ことをそろそろやらねばならないとゆうことなのではないだろうか…?


 既定の表現手法、既定の出版形式、既定の流通システム、既定のイベント形式に従来の読者(観客)…収穫はいつまで続くのだろうか…?


 自分がマンガを教える大学に12年間在籍し、何年間か代行授業もやりましたが、キャンパス内を見ている限り漫画家を目指す人が後を絶えまい――

 しがしながら大型書店に並びきれないほどマンガのタイトルが増え、それらの多くは誰もが気が付かないうちに消えていった


 考えちゃうじゃぁありませんか?うふふ。



総合マンガ誌「キッチュ」
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