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炎天下の独り言

2013.06.16 Sun
 マンガを教える大学で起きた数年前のことだが、これまで二つのコースの学生の履修可能だった「デッサン」の選択実技授業が、初めて三つのコースの学生が履修できるようになったことをきっかけに、画家の二人の教員が担当する授業に百二十人もの学生が登録することになった。

 百二十人が力を合わせ一般授業用の大講堂の机を取っ払って、その広い空間の中で百二十機のイーゼルがフル稼動し、二人のヌードモデルが百二十人の熱気に囲まれた壮大な風景をいまだに忘れない。合わせて二講時、長さ三時間の実技授業だが、最後の合評の時間になりますと、たとえ一人の学生に対して一分を使ってコメントしても、百二十分はかかるものだったため、助手の私と教員二名の三人がそれを分担して行ったわけです。

 さて彼らがあるものを追い求める熱意が人数に伴ってそれが膨大なプレッシャーになって講義する側に伝わってくる…それはつまり

 「画力」というものをである。

 マンガを描く人間、マンガを描こうとする人間にとっても「画力」というものは強い憧れを備えた甘美な果実のように思わせる、まさしく魔力のドロップとも言えよう。

 それはどこから来るものだろう。マンガにストーリーがあって、ストーリーを見せるためのマンガがあって、語りたいストーリーのために著者がイメージする描写を描くために、どうしてもほしい「能力」というものか。あるいはマンガの先達のマンガを見ていると「この圧倒的な画力がほしい」という表現者を志す者の貪欲とともに、それが先達に対しての憧れの気持ちでもあるじゃないだとうか。時には「上手い絵が描ければ良いマンガを描ける」に飛躍すると言っても良いだろう。

 さては良いマンガはどうやったら描けるだろうか?私には分からない、誰がわかる人は教えてください。しかしながら、マンガで絵を描く以上、あらゆる手を使ってでも「上手い絵」に近づかない術がないわけというものだろうか。



総合マンガ誌「キッチュ」

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