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日本にやって来た台湾マンガ少年

2013.06.23 Sun
 時は1998年頃、日本のとある美大が台湾に存在する三つの芸術系高校にわざわざ学生を募集しに来たことは、少子化に伴う学生不足に対しての危機感によるものだろうが、今現在日本中の大学の現状を見るとそれが先見の明と言わざるを得ないだろう。

 ともあれマンガを夢中で描いてたことで「社会のウジ虫」たる勲章を中学校の教諭から授与された、当時芸術系の高校二年生だった私にとって、「マンガを教える大学」なんってのは夢みたいな話である。

 さっそく応募したのは、言うまでもない。

 いま考えれば変な話だが、大学の教員ではなく、高校内の教員による推薦入試が行われたのだが、それを受けるためにそれまで無地ノートに描いた大量なマンガを一冊のポートフォリオにまとめる作業に取り掛かった私が、一人で高雄市内を探し回って、当時は既に引退した写植マンの協力を得た。日常界隈的なストーリーを面白く見せてくれるイラン映画のような出来事だった。

 ところで教員とよく議論してしまったことで、結局私が推薦入試には合格せず、候補のみとなっていたことにひどく落胆したのをいまだに覚えている。十五年近く経った今、現にあるところから「学生に影響を与える恐れがある」という勲章を与えられた私にとって微笑ましい思い出ではあるが。

 さて「候補」としての私は、どういう経緯で「合格」したのか…クラスメイトが経済難のため辞退したのが、原因だったのだ。

 裕福だとは、自己で主張するものではないが、その約七年後家族が巨額な借金による破産というドラマチックな展開になるとは、想像もしなかったものの、さてはいまならあの頃の我が家は裕福「だった」と主張してもいいと思う。

 話せば長いが、今は取りあえずそれを割愛して、「絵」の話をしたいと思う。

 小学校からラクガキ感覚でマンガを描いてきたが、芸術系高校に入ることによってようやく周りにもマンガを描く人間が増えたが、それでも数が少なく、「マンガの上手いやつ」という定評は不動なものだった。

 さて日本全国の「マンガの上手いやつ」が一つの空間に集まったらどうなるか。

 「刺激し合う」という、博士課程で美術科教育学を五年間やった研究者だった自分としては言って違和感ない言葉だが、「刺激」の定義は別として自分の経験談からしてその時の心境を一言でいうと「自信喪失」そのものだったのだ。

 「げげ!上手いやつがいっぱい居やがる!」

 大学卒業した後も十年近く母校の後輩を見て来て、一概にそう言えないかもしれないが、その感情に国境がないように見える。
クロッキーその2
2010年頃に描いたクロッキー 作画時間約3分 筆ペンによる



総合マンガ誌「キッチュ」
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